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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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火傷の女性

2008.02.12 (Tue) Category : ホラー・自己責任

夜、寝ていて、ふと目を覚ますとベランダに女性が立っています。
その女性の顔には、酷い火傷の跡があります。

もし、その女性の顔を見て、少しでも嫌そうな顔をしたり、怯えるような顔をすると・・・

この話を聞いた人の所には、夜、その女性が現れるそうです。









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角田の森の廃屋

2008.02.11 (Mon) Category : ホラー・自己責任

あれは小学6年の夏休みの事でした
友人のHとTが角田の森で遊んでいた時、Hが奥の廃屋へ行ってみようと言い出したそうです
 
当時、私達は角田の森でよく遊んでいましたが、それは道路に面した崖の様に反り立った部分から飛び降りたり、木のツルにぶら下がってターザンの真似事をしたりといったもので、森の中へ入る事はありませんでした
 
もちろん廃屋があることは知っていましたし、一部の怖いもの知らずの先輩や同学年の子がその廃屋に忍び込んで何かを見たという噂も聞いてはいましたが、まだ日の高い日中でしたが、Tはどちらかというと臆病な性格だったので
「やめたほうがいい」
とHに言ったそうですが聞き入れず、結局Hが一人で廃屋に行き、Tは森の崖の上で待つ事になりました
 
Hが森の奥に消えてから数分が経った頃でしょうか、突然
「うわぁぁぁぁぁ!」
という叫び声とともに物凄い形相のHが森の奥から飛び出してきたのです 

ただならぬ雰囲気を察したTはHの先に立って一目散に逃げ出し、二人は死に物狂いで走って近くの寺の境内に駆け込みました
息を切らせながらTがHの顔を見ると、その顔は青ざめ、目はうつろでした
ただ左の頬だけが赤く染まっていたそうです 

何も話さないHを心配し、Tは自分の家へHを連れて行きました
ようやく落ち着いてきたHは、廃屋で何があったのかを語り始めました 


Hは森の中に入り廃屋の前へと出ました
その廃屋は、壁はボロボロで窓は割れ、もう何十年も人の手が入っていない感じでした
Hはその異様な雰囲気にたじろぎながらも、勇気を振り絞って引き戸に手を掛けたそうです
 
その時、廃屋の脇から70歳位の婆さんが突然飛び出てきて、Hの手首を掴みました
あまりの事に声も出ないHが立ち尽くしていると、さらに同じ歳位の爺さんが廃屋の脇から出てきて絞り出すような声でこう言ったそうです
「坊主、ここで何やってるんだ」
その爺さんの手には包丁が握られていました
「すいません、すいません」
とHはひたすら謝ったそうですが、婆さんは物凄い力で握った手首を放さず、爺さんはHの前に回りこんで、顔を覗き込んできました
 
そして、突然Hの頬を力まかせに平手打ちしたそうです
その瞬間Hは目が覚めたように婆さんの手を力一杯振りほどいて、Tの待つ森の入り口へ駆け出したのです
翌日私は学校のプール教室で、仲の良かった四人組のもう一人Yとともに、二人からその話を聞きました
 
Hの話によれば、あれは幽霊などではなく間違いなく生身の人間であったとのこと
あんな所に人が住んでいるというのは、にわかには信じ難い話でしたが、TはHの頬が赤く腫れているのを見ていましたし、Hがそんなにうまい嘘をつけるとも思わなかったので、私はその話を信じました 

ただTはHが捕まっている間、廃屋の方からの物音や話し声などを一切聞かなかったそうです
森の入り口から廃屋まではそんなに離れてはいないのですが

それからしばらくは、角田の森へ行くことはありませんでした
ところが一週間ほどたったある日、ダイエーの7階で遊んでいた時でした
Hが
「今度夜にあそこへ行ってみようぜ」
と言い出したのです
あんなに恐ろしい思いをしたのにこいつは何を考えてるんだと思いました
今思えば、ガキ大将的な存在だったHは、無様な姿を見られた事が我慢ならなかったのでしょう
Tはすぐに反対しましたが、Yがやけに乗り気で
「行こう、行こう、大丈夫だって」
と私やTをしつこく誘いました
私も内心は絶対に行きたくないという気持ちでしたが、ここでビビッたらかっこわるいという思いが先に働き、
Yの粘りもあって最後には
「別にいいよ」
と答えたのです 

結局Tは、親が夜の外出を許してくれないという理由で参加しないことになりました
その翌日の夜9時半、私達はサレジオ教会の前で待ち合わせました
そして自転車をサレジオの前に置き、私達は角田の森へと向かったんです
昼間でも不気味なこの森、夜に見るそれは表現し難い異様さを放っていました
魔界への入り口というか、悪霊の巣窟というか、とにかくそれ以上近寄るなという邪悪な意思を発している様に感じました 

私はすっかり怖気づいてしまい、
「やっぱりやめよう、やばいよ」
と言いましたが、YとHは聞く耳を持たず
「ここまで来て何言ってんだよ、いくぞ」
と崖を登り始めました
すぐにでも逃げ出したい気分でしたが、一人でサレジオまで戻るのも怖かったし、森の前で一人で待っているのもご免でした
ほとんど半泣きで二人の後を追ったのです
 
真っ暗でほとんど何も見えない中、手探りで腰をかがめ、物音を立てないようにしながら、私達は廃屋の前まで辿りつきました

私の心臓は早鐘の様に、激しく脈打っていました
そんな私をよそに、Yは一人で廃屋の脇に回り、ガラスの無い窓から中を覗き込んだのです
Yは虚勢を張っていたのか、本当に強心臓の持ち主なのか、私は信じられない思いでYの行動を見ていました
言いだしっぺのHでさえ、私の横で動けずにいましたから
「何だ、誰もいねぇじゃん」
Yは持参した懐中電灯を点け、それを私とHの方に向けてそう言いました
「じゃあ、入ってみようぜ」
Yはしゃがみ込んでいる私達の前へ来て、引き戸に手を掛けました
引き戸がそのボロボロの外見に似合わず、スーッと静かに開いた瞬間を何故か今でも鮮明に覚えています
Yが懐中電灯で室内を一通り照らし、
「大丈夫だ、入ってみよう」
と私達を振り向きました
先にHが立ち上がり、私もその後を追いました
Yのあまりにも平然とした語り口に、私もHも拍子抜けしたというか、現実感を失っていたんだと思います

YとHが懐中電灯で室内を照らし出すと、意外な程片付いた室内が現れました
というより、ほとんど何も無かったのです
部屋の正面奥に置かれた祭壇のようなもの以外は
Yがその祭壇を照らし出しました
それは実際には祭壇と呼べるようなものではなく、小さな長方形の机の上に両脇にはカップ酒のコップを花瓶代わりにして花(と言っても、雑草のような物)を生けたものが置いてあり、その真ん中にお札が立てかけてありました 

「ん、ジンカ?何だこれ読めねぇや」
とお札に書いてある漢字を見て、Yが言いました
私もお札の文字を見ましたが、漢字の苦手だった私には読めず、何かお経の様なものが書いてあるのかなと思いました 

と、それまで黙っていたHが突然その祭壇を蹴り上げたのです

ガシャンと音を立てて、祭壇はひっくり返りました
私とYがびっくりしてHの顔を見ると、Hはひっくり返った祭壇を見下ろしながらポツリと
「仕返しだよ」
と言ったんです
その時です
何とも形容し難い
「ゴォォォォォォォ」
という唸り声というか、音というか、とにかく得体の知れないものが聞こえたのは
どこかから聞こえるというより耳のすぐそばから聞こえる様な感覚で、不協和音というか生理的に不快なものでした 

地震が来る時に、遠くから地響きの様な音が聞こえる事ありますよね
あの音を人の声で叫んだような、とにかくこの世のものとは思えない恐ろしいものでした
私は声にならない声を上げながら廃屋を飛び出し、暗闇の中を森の出口へ駆け出しました 

YとHもすぐに私の後を追い、お互いに先に行く者を引っ張り合いながら、我さきにと走りました
何度も窪みや木の根っこにつまずき、転びながらなんとか崖まで辿り着き、崖を滑り降りて森の外へ出ました
サレジオに着くと、自転車に飛び乗りお互いの事など気にも留めず、とにかく早くあそこから離れたい一心で自転車を漕ぎました
 
私は無意識になのか、家の方へ自転車を走らせていて、このまま帰ろうと自転車を漕ぐ足を速めました
もう他の二人はどこへ行ったのかも分かりません
自転車を必死に漕ぎながら、ずっと私のすぐ後ろを何かが追ってくる様な感じがしたのを今でも覚えています
後にも先にもあれほどの恐怖を感じたことはありませんでした
 
息も絶え絶えに家に着き、両親の寝室に駆け込み母親の布団に入りました
母親は私の様子に驚き、
「どうしたの?何かあったの?」
と何度も聞きましたが、私はただ
「何でもない」
と答えるだけでした
直感的にこの事は誰にも話しちゃいけないと、思ったのです
私はいつの間にか、眠りに落ちていました 

翌日の朝も母親が昨日の夜の事を聞いてきました
私は小刻みに震えていたそうです
私は
「友達の家から帰る途中に、変な人に追いかけられた」
と嘘をつき、その場をしのぎました
 
母親は納得したようでしたが、夜の外出は禁止されてしまいました
私がその日のプール教室を休んで家にいると、Yから電話があり、会うことになりました
Yの家に行くとHとTも来ており、当然話は昨日の夜の話題になりました 

三人が三人ともあの声の様なものを聞いており、Yは廃屋から出る時に何かに足首を掴まれた感じがしたそうです
その後、私と同様に他の二人も何とか無事に家に帰れたとの事でした
私とYは、Hに何故祭壇を蹴り飛ばすような事をしたのかを聞きましたが、
「仕返ししただけだよ」
と答えるだけでした 

今思えば名誉挽回の為にあの廃屋に行ったのに、Yのつわものっぷりばかりが目立っていたので、Hはここで何かして根性を見せなければと思ったのではないでしょうか
そしてこの話は、Tも含めた四人だけの秘密にすることを固く誓いました
それからも私達四人は事あるごとにこの話をしましたが、角田の森へ遊びに行く事は二度とありませんでした 

そして時は経ち、私達四人は卒業を迎えました
Tは私立の中学へ進学し、同じ公立の中学へ進んだ私と後の二人も別々のクラスになり、YとHがDQN系のグループと付き合っていた事もあって、その後私達は疎遠になっていきました 

それから5年後のことです
私が思わぬかたちで「角田の森」という言葉を聞いたのは 

高校2年の夏休み、外出から戻った私に母親が
「なんか変な留守電が入ってたんだけど、あんた分かる?」
と言いました
私はすぐにそのメッセージを確認しました
「私は東京大学で・・・の教授をしております・・・いうものです・・・」 

それは、五、六十代の男性の声で、電話が遠いのか所々で音声が途切れていて、断片的にしか内容を確認できませんでした
そして次の瞬間、私の体は凍りつきました 

「・・・K君(私の下の名前)に・・・の"角田の森"での事で・・・したいことがありまして・・・」
!?
「・・・折り返しご連絡を・・・番号は・・・です・・・」
そこでメッセージは終わっていました
「うーん分かんないなぁ、間違い電話じゃないの」
と母親に答えると、私は自室に入り高鳴る鼓動を感じながら、なんとか混乱する頭を整理して、この電話の意味を推理しようとしました 

私達四人しか知らないはずのあの夜の事を、何故東大の教授を名乗る男が聞いてくるのか
他の三人が誰かに話したのか
それとも、私がつい喋ってしまった中学や高校の何人かの友人から漏れたのか
いや、あの事を知っているあの三人を含めた誰かがいたずらでした事かもしれない 

しかし、そんな手の込んだいたずらをするだろうか
何度聞き返しても留守電の声は中年以上の男性の声でした
結局、この電話の謎は解明できませんでした
電話を掛け直そうにも電話番号は一部しか聞き取れませんでしたし、電話帳で東大の様々な学部の電話番号と照合して似た番号を探そうとしましたが、番号の内4つの数字しか分からないのではそれも無駄でした
 
また先方からも二度と電話が掛かってくることもありませんでした
電話があってから一週間程は、友人(あの三人以外の)に当たるなどして、真相を確かめようとしましたが分からず、しだいにその熱も冷め、日々の忙しさの中でその電話のことは忘れていきました
 
それからさらに二年後、再び私は角田の森の一件を思い出す事になりました 

浪人時代に予備校の夏期講習で偶然Tにあったのです
Tと会うのは中一の夏以来でした
一緒に昼飯を食い、昔話に花が咲きました
そして、ふと思い出したあの不可解な電話の事をTに聞いたのです
一瞬Tの顔が曇り、
「おまえんとこにもあったのか」
と呟きました
Tの所にその電話があったのは一年前の夏、つまりTが高三の時の夏で、同じ様に留守電に録音されていたとの事でした
東京大学の教授とは言っていなかったそうですが、角田の森という単語ははっきりと聞き取れたそうです
 
やはりその電話も声が聞き取りづらく、電話番号も分からず、再び電話が掛かってくる事も無かったとの事でした
その時はあまり深くその話題には触れず、変な事もあるもんだなぁといった感じで話は終わりました

私の話に合わせて嘘をついたのかなとも思いましたが、電話が聞き取りづらかったといった細かい事はTに伝えていなかったのでおそらく彼の家にも似たような電話があったのは事実でしょう
 
二週間ほどの夏期講習の間、毎日Tと会い最後に
「大学入ったらまた遊ぼう」
と私達は別れました
私は無事大学に受かり、忙しい毎日を送っていました
そして私が大学3年の夏、Hが死んだのです 

自殺でした
当時Hは下北沢の近くで一人暮らしをしていたのですが、そのそばのマンションから飛び降りたそうです
深夜8階の手摺を乗り越えて飛び降りたそうで、翌日の朝、給水タンクの脇に横たわっているのを管理人に発見されました
私とTは連絡を取り、二人で通夜に出席しました 

その席でHと仲の良かった中学時代の同級生から色々な話を聞きました
Hが覚醒剤に溺れていた事、最近は全然顔を見せなかった事、そして遺書の内容も
「もう耐えられない。死んで楽になります。ごめんなさい」
とだけ記されていたそうです
 
焼香を済ませ酒を飲んでいると、Hの友人が私とTの所に来て、こう聞きました
「あの~、ニシナって人知らないかなぁ。あいつの知り合いだと思うんだけど」
その友人がHの両親に聞いた所によれば、Hの部屋の机の上に大学ノートが開きっ放しになっており、そのノートには「ニシナ」という字が何ページにもわたってびっしりと書き込まれていたそうです
 
机の上のもの以外にも同じ様に「ニシナ」と書き込まれたノートが数十冊見つかったそうです
「あいつが追っ掛けてた女の子かなんかじゃないかと思うんだけど」
とその友人は訪ねましたが、私達二人はHとは何年も会っていないので分からないと答えました
 
その友人が去り、Yが
「ニシナかぁ、なんだろうね」
と言った瞬間私の脳裏に、あの夜懐中電灯に照らし出されたあのお札が鮮明に浮かび上がりました
ニシナ、仁科・・・ジンカ
そう、あのお札に書かれていたのは間違いなく仁科という漢字でした
 
最初の二文字の仁科以外は何が書いてあったのか思い出せませんでしたが、仁科という文字はYがジンカと読んだ事もあって覚えていたのです

私はずっと背筋に寒いものを覚えながら通夜の席を後にし、その帰り道Tにその事を伝えました
Tは泣きそうな顔になり
「そんな事あんまり深く考えない方がいいよ。もうあそこの事は忘れようよ」
と言いました
それから私達は押し黙ってしまい、そのまま別れました 

私は翌日の告別式にも出席しましたが、Tは来ませんでした
Yは通夜にも告別式にも現れず、数年前に千葉に引っ越したとのことでしたが、最近はどこで何をしているのか誰も知りませんでした
Hの通夜以来、Tとも会っていません 

最後に
Hの死やあの不可解な電話があの夜の出来事に関係あるのかどうかは分かりません
単なる偶然かもしれません
Hが老夫婦に捕まったという話も、今となっては真実かどうか確かめようがありません
ただ、あの夜あの廃屋へ行った事を今でも後悔しています
何としてでもHとYを説得して止めるべきだったのではと
そして、ここで軽はずみにあの森の事を書き込んでしまった事も
全てを語ってしまった事も









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固芥さん(こっけさん)

2008.02.10 (Sun) Category : ホラー・自己責任

こんばんわ。
コケシの話が怖いみたいですね。

あんまり自分の出た地域のことは言いたくないんですけど…

--

私の田舎ではコッケさんといって、コケシのような呼び方をすると大人に相当怒られました。
中学生に上がりたての頃、半端なエロ本知識で「電動こけし」という単語を知ったクラスの友達が、コケシコケシと連呼してるのを、指副担に見つかり、バカスカ殴られてました。

大学に入って初めて知ったのですけど、指副担(シフクタン)なんていう役職はほかの地域にないんですよね。

あ、指副担というのは、生活指導副担という意味で、別に何の教科を担当してたわけでもないです。
野球部のコーチみたいな感じで、毎日学校には出てくるのですが、だいたい用務員室で茶飲んで定時前には帰るような感じでした。

学校行事の中で、踊りみたいなものは、指副担の先生が指揮をとってました。

運動会で、必ず、メイポールの祭りみたいな踊りを、伝統的にやらされてたのですが、これは、指副担の先生の独壇場でした。
列が乱れたり、ポールから引いたリボンがたるんだりすると怒るような。組体操よりぜんぜんこっちが大事でした。

体育教師の数倍ヤな感じでした。 

高校に入って、地元の青年会に入ると、コッケさんのあらましは聞かされるのですが、それもまぁ、コッケさんという地神さんは伝統だから、行事は守らないといけない、みたいな感じの話で要領を得ません。

地域に大きな寺社や宗教施設がないし、中学高校にもなると、さすがに、いろいろヘンなうわさが立ってました。

・**中学の裏にある井戸が本尊で、毎年一人生贄にされる
・高校出て町に出るときは井戸に後ろ髪を納めさせられる

噂は噂でしたけど、実際私がいたころは後ろ髪を伸ばした奴が多かったです。単なるヤンキーだったのかもしれないですけど。今は帰らないのでどうかわかりません。

今、同郷の女の子が近くのマンションに住んでて、そのこの叔父さんが指副担やってたんですけど、このスレで、コケシの話題が出てたので、なんか関係ありそうだったので、聞いてみました。

* * 

私たちがコッケと読んでいるのは「固芥」と書くらしいです。

明治に入ってすぐのころ、飢饉と水害の土砂崩れで、村が、外部との交通が遮断されたままひと冬放置されたことがあったそうです。

十二月二十八日のこと(旧暦かどうか不明)、知恵の遅れた七歳の子供が、村の地区(どの地区かは教えてくれませんでした)の備蓄の穀物を水に戻して食べてしまったそうなのでした。

その子供は村の水番が、妹との間につくった子供で(本当かどうかはわかりませんが、水車小屋のような場所があったのですぐそういう、性的な噂が立てられた)水番が罪を犯すと翌年は日照りになるという迷信がまだ残っていました。

水番は責任感が強かったので、子供を殺して村に詫びようとしたそうです。 

実際
「子供を殺せ」
と書いた無記名の手紙を投げ入れるような嫌がらせが、すぐ始まったそうです。
水番に不利に扱われていた家も多かったし、実際、穀物の管理責任は水番にあるので、そういうのがおきても仕方ない状況ではあったそうです。

年明けて、一月二十八日の深夜、いくら何でも水番が自分の息子を殺すのを容認はできませんので、このことは村全体で考えよう、と談判していたところだったのですが、水番の妻が泣きながら世話役の家に走りこんで来て、亭主が首を括ったので来てくれ、と言うのです。

水番の家に行くと、井戸の上に「井」の字に竹を渡して、そこから首を吊るすようにして絶命している水番がいました。

あまりの酷さに世話役たちが顔を背けていると、くだんの息子が、傍らから、世話役の袖を引いて、

「みましたか! みましたか!」

と、目をらんらんと輝かせて尋ねるのだそうです。

この子はもはや正気ではないとはわかっていました。
が、当時の解釈では、これは、水番の相反する気持ちが、子の魂は滅ぼしても子の肉体は母のために生かしておいてやりたい、という願いになり、親子の魂が入れ替わったのだ、というのが支配的でした。

間引きのために子供を殺したことはありませんでしたが、このとき、村で初めて、この子供を
「殺そう」
という結論が出たのだそうです。 

横糸を斜めに織った長い綿布で首を包んで、布に少しずつ水を吸わせて、誰も手をかけないうちに殺そうということになりました。

しかしそこは、素人考えですので、首は絞まってもなかなか絶命しません。
子供は父と同じ顔で
「誰じゃ、食ったのは誰じゃ」
と声を上げていました。 

恐れおののいた村人は、父が死んだのと同じように、井戸に竹を渡してそこから子供を吊るしました。

ものすごい形相でにらむので、まぶたの上から縦に竹串を通しました。
子供は、数日、糞便を垂れ流して暴れたのち、絶命しました。
その明けた年は、飲み水から病気が発生し、多くの人が命を失いました。

さらに、本当に穀物を食ったのが、この子供ではなく、世話役の十三になる子供だったことがわかったのだそうです。
このとき、世話役は躊躇なく、わが子を同じ方法で吊るしたのだそうです。

あくる年の一月二十八日のことだそうです。



「というわけで、一月二十八日はコッケさんの日になったんですよ」
「はー、なるほど。命日なわけな」
うちで飯を食べてもらいながら、彼女(指副担の姪っこ)に、教えてもらいました。 

「だから固芥忌(コケキ)っていうのが正しいんですよ。」
「運動会の行事も、意味わかると、ひどいね」 

「…村人全員で子供をシめる儀礼ですからね。本来こういう形でやさしく弔ってあげたのに、という。偽善ですよね」
「うん」 

(運動会の踊りは、メイポール Maypole の祭りに似てますので、知らない人は検索してもらうとどういう形なのかわかります。中央のポールが子供です) 

「…あとですね、これ、私一人で気づいたんですけど」
彼女は、ペンを取って、チラシの裏に、「芥」の字を書きました。
「おお、28やん。オレも今気づいた」

くさかんむりと、その下の八の字で、二十八と読めます。

「え?」
彼女はきょとんとしていました。

「いやだから、にじゅうとはちで、その命日を表してるんでしょ?」
「…ほんとだぁ」
「え、違うの?」
「いや、そっちが正しいんですよねたぶん」
「何よ、教えてよ」
「いや、いいです」
しばらく押し問答した末、彼女は折れて、文字を書き足しました。 

「これね、縦書きなんですよ」 








芥 








「目をつぶされた子供が、竹の枠に首から下がってるの、わかるでしょ?」








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オラガンさん

2008.02.08 (Fri) Category : ホラー・自己責任

いわく付きの話です。
読む場合は必ず自己責任で。
何かあっても一切関知しません。

ちなみに。
「自己責任」からはじまる連鎖自己責任の話
「ヤマニシさん」
「山の測量」
「毟られる毛」
「空き家の雨戸から」
の最後の話のようです。













では。













20年近く前、福岡の母方の田舎に帰った時の話。
母ちゃんの毎年恒例のお盆参りで俺は母ちゃんと妹と3人で(親父は航海士で夏は南半球で過ごしてた)1週間位福岡の母ちゃんの実家である爺ちゃんの家に遊びにいった。 

横浜生まれの俺は福岡のうだるような暑さとむせ返るような緑の匂いが大好きで、遊びに行くたび2歳上の従兄弟と虫取りだ、釣りだ、川で泳ぎだ、とちょこまか遊びまわってた。
ある日の午後、従兄弟が良いもの見せに連れてってやるといい、爺ちゃんちから暫く歩いた山の中腹にある寂れた神社に連れてかれた。 

木が鬱蒼と生い茂ったその神社の裏手には古い井戸と3-4件の廃墟になった民家があった。民家へ続く道はしめ縄?で閉ざされたが、従兄弟は構わずしめ縄を跨いで進み俺もそれについていった。
周辺はまだ昼過ぎなのに薄暗く、空気はひんやりして涼しかった。 

民家はボロボロで荒れ放題。ガラスは割れまくりで雨戸は壊され正直言って内心気味が悪かった。 

従兄弟は俺を引張りその内の一軒の軒下に通風孔をくぐって入り込んだ。
そして真っ暗な軒下へと俺を引っ張り込み、持ってきた蛍光灯付きの懐中電灯付け、その灯りを頼りに奥へ奥へと這っていった。
暫く進んだ軒下には週刊誌やエロマンガが山積してあった。
 
従兄弟の言う良いものとはそれだった。それから従兄弟と俺は時間を忘れてエロマンガを読みふけった。(W
気がつくと軒下から見える景色は大分暗くなってた。と、俺達が居る家の周りを歩いている人の気配がする。従兄弟が

「誰かおる」 

と俺に耳打した、そして蛍光灯を消すと軒下は真っ暗になった。 
と、潜り込んだ通風孔から見える外の景色に、確かに家の周りを歩いてる人の足が見えた。よく見ると裸足の足がびっこを引きながら家の周りを歩いてるのが見えた。そしてその脇にギラギラひかるものが見えた。刀のようだった。 

従兄弟はヤバい!みたいな顔を見せて俺に
「逃げよう」
と呟いた。 

軒下には出入り口になる通風孔が幾つかあって足は家の周りを左回りにグルグル廻ってた。
「(足が)通り過ぎたあと、あそこから走って逃げよう」
と言う従兄弟の提案通り俺達が入ってきた通風孔に近づいた。そして息を潜め、足が通り過ぎるのを待った。

足が通りすぎて暫くし先ず従兄弟が出て、俺も這い出ようとした。慌てて出ようとした俺は両腕と頭を通風孔に
差し込んだせいで体がつかえてもたついた。足の主に捕まったら殺されるかもと思い心臓バクバクでつかえた体をあれこれ動かし、せまい通風孔からやっとの事で這い出た。 

と、後ろに人の気配を感じ振り向くと、今自分が這い出たばかりの通風孔から白目で俺を睨む顔が見えた。足の主は俺達が軒下に居る事に気付き、違う通風孔から俺達を追って這ってきたのだった。
白目の主はちょん髷を解いた侍だった(のように見えた)。 
口は開け放しこちらを睨む白目からは幾筋にも血を流していた。 

その目に睨みつけられた俺は体がすくみ、身動きできずにいると、白目の侍は頭と手をにゅうっと出し出てこようとした。
途端、
「早く!」
と従兄弟が叫び、俺の手を掴んで、文字通り脱兎のごとく駆け出した。 

暫く「ズっズっ」とびっこを引く音をを後ろに聞きながら、鬱蒼とした薄暗い山道を足の速い従兄弟に手を引かれながら駆け下りた。
途中1度大きく転んで、従兄弟はアゴ、俺はひざから出血したのを覚えてる。従兄弟はもう一方の手に掴んでたエロ本をぶちまけたが
何冊かだけ持ち直しまた俺の手を掴んで駆け出した。
ほうほうの体で山を降り、爺ちゃんちまで逃げ帰ると、従兄弟は縁側から大声で居間で相撲を見ていた爺ちゃんを呼んだ。
事情を聞いた爺ちゃんは途中で大体察したのか、

「おい婆ちゃん、酒と塩を持ってこい。こいつがオラガン?さんに見付かったぞ」 

と婆ちゃんに向かって叫んだ。
台所で料理をしてた婆ちゃんは慌てて一升瓶と塩の入った甕を持ってきた。そして爺ちゃんは従兄弟にバリカンを家からとって来るように伝えると、俺に服を脱ぐように言った。

言われた通りすっぽんぽんになった俺は裸のまま従兄弟が持って来たバリカンでボウズにされた。そして日本酒を口に含むとぷはぁーっと俺の顔に吐きかけ手ぬぐいでごしごしとぬぐった。 

そして水を汲んできて頭からかぶせるとごしごしと婆ちゃんに全身拭かれて、塩を全身にぱっぱとふられた。
婆ちゃんは俺の着ていた服と髪の毛を、従兄弟が持ち帰ったエロ本と一緒に焼却炉で燃やすと家の中に入ってった。 

「よし、これでよか。母ちゃんは○子(妹)を連れて福岡(市)まで出ていっちょるからお前は今日はもう寝れ」

といわれた。
怖いと言うよりも、大変な事をしてしまった?とか母ちゃんに怒られるのかな?と頭の中がグルグルしてた俺は言われるがままに婆ちゃんの敷いた布団に入って寝た。
よく朝早く起こされると予定を切上げ母ちゃんは俺と妹を連れて横浜の家に帰った。俺は神社での出来事をいつ聞かれるかとビクビクしてた。 

母ちゃんは事情を知っているようだったが結局俺には何も教えてくれなかった。 

それから数日の間、夏休みが終る頃位まで?耳鳴りが続いたが、体調には別に異常は無かった。夏休みが終る頃には耳鳴りもやんだ。
そして新学期が始まりボウズになった俺はクラスメイトに笑われた。

以上、あまり怖くないし(俺自身がそんなに怖くなかったし)、落ちも無いけど覚えてる限り本当の話です。方言や名称は適当ですが。
以前この板で見た某話(めくらの女の人が廃墟から首を出して云々)にそっくりなので自分でも驚いてます。
あとこの話は俺の体験ネタとしてよく人にも話して聞かせるので知り合いには俺が特定されちゃうかも。それはやだなあ。(W

勿論翌年も福岡へ行ったが、以来その神社へは言ってない。
エロ本はまだそのままかも。
長文初なんで読みづらくてスマソ









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空き家の雨戸から

2008.02.06 (Wed) Category : ホラー・自己責任

いわく付の話です。
読む場合は自己責任で。
何かあっても一切関知しません。












では。












いまだにキショ恐い、謎な話。
小学校低学年の頃、両親の用事で俺は知り合いのおばちゃんちに一晩預けられた。
そこの家は柴犬飼ってて、俺は一日目の暇つぶしにそいつを連れて散歩に出かけたんだけど土地感のないところを、やたらめったら歩き回ったんで迷子になってしまった。
シャイボーイだった俺は他人に話し掛けることもできないし、連れてる犬は役に立たないしでウロウロしてるうちに夕暮れ近くになってしまった。
しかもある場所を通りかかったとき急に犬が足を踏ん張って動かなくなってしまい俺はそいつ抱えて歩き出したんだけど、異様にクソ重たい犬だったような気がする。
そうやって立ち往生してた場所の右手に2軒つながりのような形の空家があった。
当時昆虫集めに凝ってた俺は、いい虫(カマキリとか)でもいないかと犬をひきずってそこんちの草ぼーぼーの庭に入り込んだ。
んで、しばらく草をかき分けてるうちにいいかげん暗くなってきてこりゃやばいと顔をあげたとき、空家のほとんどの窓は雨戸しまってたんだけど、俺とこから玄関はさんで向こう側の窓だけ雨戸が少しだけ開いてて、そこから女の人が顔突き出してるのが見えた。
顔つきとか覚えてないけど確か女で、両目閉じたまま顔を左右に振ってたと思う。
とにかくキショイ動きだった。
俺は「ギョエェェェーー!!」と思ったわりに声も出ないまま腰ぬかしたけどすぐに一目散に空家から飛び出した。 

それからどうやっておばちゃんちまでたどり着いたのか忘れたけど、おばちゃんに半泣きで空家の女のこと言ったら、おばちゃん怒り出してなんでか分からんけどすぐさま頭をバリカンで丸坊主にされてその後知らないおっちゃん連れてきて呪文みたいなの聴かされた。
それに出かけてたはずの両親も急遽呼び出されたり結構大事になった。
以来おばちゃんちには一度も行ってないけど犬は結局帰ってこなかったと思う。
すんませんおばちゃん。
つか、これ最近思い出したことなんだけどあれは一体なんだったんだろう。









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