都市伝説・・・奇憚・・・blog
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怪人アンサー
2007.09.30 (Sun) | Category : 都市伝説・考察・真相
この都市伝説は、作者がはっきりしている極めて珍しい話である。
HNくねるあいず様が創作された話である。
<予感~Presage~>【http://www.d8.dion.ne.jp/~kuneriz/ans.htm】
詳しい経緯などはご自身のホームページの中で諸々の種明かしをされていたので、興味のある方は参照されたい。
HNくねるあいず様が創作された話である。
<予感~Presage~>【http://www.d8.dion.ne.jp/~kuneriz/ans.htm】
詳しい経緯などはご自身のホームページの中で諸々の種明かしをされていたので、興味のある方は参照されたい。
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橘あゆみ
2007.09.30 (Sun) | Category : 都市伝説・考察・真相
さて、「橘あゆみ(橘由美佳)」は、恐怖系チェーンメールの定番中の定番ネタ。2000年夏頃に発生して以来、今なお年に何度も大流行している。 そして、2005年春頃には「増岡政人」、同年秋には「PAmw-B38」という名前違いの変種も発生。これまた大流行した。
さて、いくつか文面のおかしい部分につっこんでみよう。
→6/9(木)
最初に流行したのは2000年。この付近で、6/9が木曜日となるのは1994年。6年も前にこんな事件があったら警察やマスコミが大騒ぎしているはず。
だが、そんな形跡はない。
→「プログラムの処理」?
「パソコンのプログラムの処理」とは何か?どんなデータから、どんなアプリを使って、どんな処理をしたというのだろうか。そもそも、「プログラムを処理」しただけで個人情報を特定できるとは考えられない。
それで「犯人と思われるやつの名前」をリストアップして、「それだけではなかなか見つけられない」とある。リストアップできていないではないか(苦笑)
「位置情報からメールをとめたやつの居場所を探す」ということだが、この時期、GPS機能付携帯はまだ普及していないはず。
仮にあったとしても全ての携帯がGPS機能が有効であるとは限らない。もし有効であっても、位置情報からその人を特定することがいかに難しいことであるかは、2004年秋に起こった奈良県の女児誘拐殺人事件が証明している。たった1人を逮捕するのに、人海戦術で何か月もかかったのだ。たかがチェーンメールで、対象者が何万人もいるのに、「パソコンのプログラムの処理」だけで簡単にできることではない。
→探偵事務所?
いくら本職の探偵でも、本名や住所・電話番号などの個人情報を他者から盗み出すのは犯罪。個人情報保護法が施行された今ではさらに明らかな犯罪となる。
たとえ、チェーンメールを止めた奴の個人情報を自動的に盗み出すようなシステムがあったとしても(実際にはそんなシステムや行為自体、実現不可能)、そこへ電話をかけたり、その人を殺すのは人間がしないと無理だろう。
ここでいう「探偵事務所」「プログラムセンター」というのは、そうした行為を専従で行う人たちのことなのだろうか?もし、本当に人を雇ってこのようなことをさせようとするのなら、どんな人たちを何人雇って、金はいくらかかるのか?....どう考えても、現実的な話とは思えない。
このような行為自体が、現実社会でありうるのか?
日本はまがりなりにも法治国家で、理由が何であろうと殺人は重罪。
上記したように、レイプ殺人事件があれば当然警察が動いて犯人を捕まえようとするし、マスコミも騒ぎ立てるはず。「メールで犯人を捜して復讐」などという行為自体、現実社会ではありえない。
もし、ここで言われていることが全て本当で、それでこの事件の真犯人にこのメールが回ってきたとしても、その犯人はメールを誰かに回しさえすれば何の問題もなく復讐から逃れてしまう。それで、何の罪もない人たちばかりが殺される…。
→最新パソコン
新しいパソコンを買えばこんなことができるのだろうか?
新しい「ソフト」や「アプリケーション」や「システム」ではなく、「パソコン」なところが笑いを誘う。
→プログラムは止められない
電源切れば?もしくは最新パソコン(笑)を壊してしまえばプログラムは止まる。
→たとえ女であっても
…なんで?
もはや恐怖感を煽るための手段としか思えない。
1人(子供入れても2人)の復讐のために無差別殺人をする…バカじゃなかろうか。
さて、いくつか文面のおかしい部分につっこんでみよう。
→6/9(木)
最初に流行したのは2000年。この付近で、6/9が木曜日となるのは1994年。6年も前にこんな事件があったら警察やマスコミが大騒ぎしているはず。
だが、そんな形跡はない。
→「プログラムの処理」?
「パソコンのプログラムの処理」とは何か?どんなデータから、どんなアプリを使って、どんな処理をしたというのだろうか。そもそも、「プログラムを処理」しただけで個人情報を特定できるとは考えられない。
それで「犯人と思われるやつの名前」をリストアップして、「それだけではなかなか見つけられない」とある。リストアップできていないではないか(苦笑)
「位置情報からメールをとめたやつの居場所を探す」ということだが、この時期、GPS機能付携帯はまだ普及していないはず。
仮にあったとしても全ての携帯がGPS機能が有効であるとは限らない。もし有効であっても、位置情報からその人を特定することがいかに難しいことであるかは、2004年秋に起こった奈良県の女児誘拐殺人事件が証明している。たった1人を逮捕するのに、人海戦術で何か月もかかったのだ。たかがチェーンメールで、対象者が何万人もいるのに、「パソコンのプログラムの処理」だけで簡単にできることではない。
→探偵事務所?
いくら本職の探偵でも、本名や住所・電話番号などの個人情報を他者から盗み出すのは犯罪。個人情報保護法が施行された今ではさらに明らかな犯罪となる。
たとえ、チェーンメールを止めた奴の個人情報を自動的に盗み出すようなシステムがあったとしても(実際にはそんなシステムや行為自体、実現不可能)、そこへ電話をかけたり、その人を殺すのは人間がしないと無理だろう。
ここでいう「探偵事務所」「プログラムセンター」というのは、そうした行為を専従で行う人たちのことなのだろうか?もし、本当に人を雇ってこのようなことをさせようとするのなら、どんな人たちを何人雇って、金はいくらかかるのか?....どう考えても、現実的な話とは思えない。
このような行為自体が、現実社会でありうるのか?
日本はまがりなりにも法治国家で、理由が何であろうと殺人は重罪。
上記したように、レイプ殺人事件があれば当然警察が動いて犯人を捕まえようとするし、マスコミも騒ぎ立てるはず。「メールで犯人を捜して復讐」などという行為自体、現実社会ではありえない。
もし、ここで言われていることが全て本当で、それでこの事件の真犯人にこのメールが回ってきたとしても、その犯人はメールを誰かに回しさえすれば何の問題もなく復讐から逃れてしまう。それで、何の罪もない人たちばかりが殺される…。
→最新パソコン
新しいパソコンを買えばこんなことができるのだろうか?
新しい「ソフト」や「アプリケーション」や「システム」ではなく、「パソコン」なところが笑いを誘う。
→プログラムは止められない
電源切れば?もしくは最新パソコン(笑)を壊してしまえばプログラムは止まる。
→たとえ女であっても
…なんで?
もはや恐怖感を煽るための手段としか思えない。
1人(子供入れても2人)の復讐のために無差別殺人をする…バカじゃなかろうか。
100人の村(1)
2007.09.30 (Sun) | Category : 都市伝説・考察・真相
さて、日本語版は本にもなり、ネット上でも「感動した」「いい話だ」という話が散見されたこのチェーンメール。
もとはメドゥズ婦人という方が作った「もし地球が1000人の村だったら」がオリジナルだということをご存知だろうか。
原文ではクリスチャンが一番多い、とされているが、日本語版では仏教と逆転されている。
大人気になった日本語バージョンだが、これは、明らかに3つのパートから成っていて、それぞれ作者とが違い、思想も違うと思われる。
順番としては
1)パート1…オリジナル1000人の村が改変されて100人の村パート1(もし現在の人類統計~火を見るより明らかです)になる。
2)パート2(また、次のような視点~ずっと恵まれているからです)が誰かによって付加される。
3)さらに誰かによってパート3(昔の人はこう言いました~生きていきましょう)が付加された。
だから、言っていることに、一貫性が感じられない。
【パート1】これは、地球上の富がきわめて不均衡に配分されているという、いわゆる「南北問題」を直観的な数字で示したもの。最後に、「相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育」を強調している。
これは、オリジナルのメドウズ婦人の思想を、匿名の誰かが敷衍したものだろう。
ここにあるのは、イメージを喚起する数字の力であり、普段は見えない南の国の人々への視線をうながす思想だ。
【パート2】これは、まったく別の人間によって付加された文章である。
ここにあるメッセージは、「南の貧しい人々と比較したときに、われわれは恵まれている」ということに尽きる。ここがいちばん危ない。このパートの視線は、完全に、北に住むわれわれの側に向けられている。あなたは、このパートをどのように読んだのか。
【パート3】ここにあるのは、「物や金に執着せずに、他人からの視線も気にせずに、いまここを自由に生きていこう」という考え方。ある意味で、自由と解放の境地である。
しかし、ここに至って、「搾取され、奪われている南の国の人々に対する視線」というものは、完全に消滅している。最初の一行の「わが身から出るもの」というのを、南の国の人たちへの援助というふうに読み込まない限り、もうそこには彼らへの視線は見いだせない。
この日本語版「100人の地球村」はオリジナル1000人の村にあった、メドゥズ婦人の「南の国の人々への視線」が、次々と薄められ、いまここにいる私とその小さな周辺の自己肯定へと、どんどん矮小化されていった結果できた文章であると見ることができる。
もちろん、この文章を使って、いままで南の人々のことを考えたこともなかった人間に、この問題を気付かせる立派な教材とすることは可能である。
あるいは、一見恵まれているかのように見えるわれわれの生活の内実を、さらに高次元から再考するためのツールとして使うことも可能である。
あるいは、北に住むわれわれの視野の狭さ、傲慢な態度に気付かせる文章となることも可能である。それらはすべて、あなたが、どこに感動してこの文章をみなに伝えようと思ったかにかかっている。
しかし、その前に、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。あなたにとってこの文章はいったい何だったのかを。
この文章を書いたのは、
女性で、白人(白人以外を一緒くたにしていることからも推察できる)で、キリスト教崇拝者で(一番多い宗教をあげるなら6割近くを占める仏教である)、しかもアメリカ国籍の人であろうことは容易にわかる。
そして、【パート2】は恵まれない人と自分を比べてしか幸福を感じることができない卑屈な思想である。
【パート3】にいたっては、恵まれない大多数の人がいるこの地球を天国と思え、ときている。この文章からは何も改善は生まれず、ただただ自分を安堵させるための手段でしかないのである。
参考、引用サイト:生命学ホームページ
http://www.lifestudies.org/jp/tero08.htm
もとはメドゥズ婦人という方が作った「もし地球が1000人の村だったら」がオリジナルだということをご存知だろうか。
原文ではクリスチャンが一番多い、とされているが、日本語版では仏教と逆転されている。
大人気になった日本語バージョンだが、これは、明らかに3つのパートから成っていて、それぞれ作者とが違い、思想も違うと思われる。
順番としては
1)パート1…オリジナル1000人の村が改変されて100人の村パート1(もし現在の人類統計~火を見るより明らかです)になる。
2)パート2(また、次のような視点~ずっと恵まれているからです)が誰かによって付加される。
3)さらに誰かによってパート3(昔の人はこう言いました~生きていきましょう)が付加された。
だから、言っていることに、一貫性が感じられない。
【パート1】これは、地球上の富がきわめて不均衡に配分されているという、いわゆる「南北問題」を直観的な数字で示したもの。最後に、「相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育」を強調している。
これは、オリジナルのメドウズ婦人の思想を、匿名の誰かが敷衍したものだろう。
ここにあるのは、イメージを喚起する数字の力であり、普段は見えない南の国の人々への視線をうながす思想だ。
【パート2】これは、まったく別の人間によって付加された文章である。
ここにあるメッセージは、「南の貧しい人々と比較したときに、われわれは恵まれている」ということに尽きる。ここがいちばん危ない。このパートの視線は、完全に、北に住むわれわれの側に向けられている。あなたは、このパートをどのように読んだのか。
【パート3】ここにあるのは、「物や金に執着せずに、他人からの視線も気にせずに、いまここを自由に生きていこう」という考え方。ある意味で、自由と解放の境地である。
しかし、ここに至って、「搾取され、奪われている南の国の人々に対する視線」というものは、完全に消滅している。最初の一行の「わが身から出るもの」というのを、南の国の人たちへの援助というふうに読み込まない限り、もうそこには彼らへの視線は見いだせない。
この日本語版「100人の地球村」はオリジナル1000人の村にあった、メドゥズ婦人の「南の国の人々への視線」が、次々と薄められ、いまここにいる私とその小さな周辺の自己肯定へと、どんどん矮小化されていった結果できた文章であると見ることができる。
もちろん、この文章を使って、いままで南の人々のことを考えたこともなかった人間に、この問題を気付かせる立派な教材とすることは可能である。
あるいは、一見恵まれているかのように見えるわれわれの生活の内実を、さらに高次元から再考するためのツールとして使うことも可能である。
あるいは、北に住むわれわれの視野の狭さ、傲慢な態度に気付かせる文章となることも可能である。それらはすべて、あなたが、どこに感動してこの文章をみなに伝えようと思ったかにかかっている。
しかし、その前に、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。あなたにとってこの文章はいったい何だったのかを。
この文章を書いたのは、
女性で、白人(白人以外を一緒くたにしていることからも推察できる)で、キリスト教崇拝者で(一番多い宗教をあげるなら6割近くを占める仏教である)、しかもアメリカ国籍の人であろうことは容易にわかる。
そして、【パート2】は恵まれない人と自分を比べてしか幸福を感じることができない卑屈な思想である。
【パート3】にいたっては、恵まれない大多数の人がいるこの地球を天国と思え、ときている。この文章からは何も改善は生まれず、ただただ自分を安堵させるための手段でしかないのである。
参考、引用サイト:生命学ホームページ
http://www.lifestudies.org/jp/tero08.htm
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