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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2025.02.03 (Mon) Category : 

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ドナドナ

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

さて、日本語訳では表現されていない歌詞があるという。

それを見てみよう。

「ドナドナ」
安井かずみ訳詞・ショロム セクンダ作曲

ある晴れた 昼さがり
市場(いちば)へ つづく道
荷馬車(にばしゃ)が ゴトゴト
子牛を 乗せてゆく
何も知らない 子牛さえ
売られてゆくのが
わかるのだろうか
ドナ ドナ ドナ ドナ
悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ
はかない命(いのち)

青い空 そよぐ風
明るく とびかう
つばめよ それをみて
おまえは 何おもう
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場(まきば)に
帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ
はかない命

また、ドイツ語のものをみると、次のような歌詞があることもわかります。

哀れな仔牛をひとは縛ることができる
そして連れてゆき屠殺(とさつ)することが
翼をもつものなら空高く飛んでゆく
そして誰の奴隷にもなりはしない

…重い。重すぎる。

ここで『離散するユダヤ人』(小岸 昭著/岩波新書)からですが、最終章(第5章)の後半(p203~)ほどのひとくだりに、作者が現地の人々に「ドナドナ」の歌の「ドナ」の意味を聞いてまわっている箇所があります。実は作者は、このイスラエルの旅に出る前から、「ドナ」は「アドナイ(ドイツ語で『わが主』を意味する)」の短縮形であるという考えをもっており、この旅はその確認の意味もこめられていたとのことでした。その作者が拠り所としていた情報源は、あるドイツのフォークグループが出しているCDの解説書で、それによると「ドナドナ」はワルシャワ・ゲットーの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌であるとのことです。今回の旅はそんな彼の考えを裏付けるはずだったのですが、実際にイスラエルの人々に意見を伺ってみると、「あれは水だ。」とか「あれは、ロシアから伝わってきた歌だからドナとは川、もっと厳密に言えばドン川」などと言った答えが返ってきて、作者はかなりショックを受けたようです。エルサレム・ヘブライ大学でイディッシュ文学を専攻している学生からは、「アドナイ」の短縮形が「ドナ」になることは絶対にない、と明確に否定までされてしまったのです。

となると、『主よ、というリフレインである』説はその根拠を失ってしまいます。しかも、現存する自筆譜では『Dana』であるらしいのです。
『Dana』はポーランド語で「ラララ…」と意味、トルコ語で「牛」、ユダヤ語で「女性名」といった意味があるようです。

結局、調べても最終的な結論には至りませんでした。
ただ、アウシュビッツの頃のユダヤ人と深い関わりがある、とうことは間違いなさそうです。
機会があったら、もう少し調べてみたいと思います。







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とおりゃんせ

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

まず、歌詞を見てみよう。

 とおりゃんせ とおりゃんせ 
 ここはどこのほそみちじゃ 
 てんじんさまのほそみちじゃ 
 ちょっととおしてくだしゃんせ 
 ごようのないものとおしゃせぬ 
 このこのななつのおいわいに 
 おふだをおさめにまいります 
 いきはよいよいかえりはこわい 
 こわいながらも 
 とおりゃんせ とおりゃんせ  

さて、この童謡にはいくつかの説がある。
…あるが、決してオカルトではない。当時の世相を反映した歌である、というだけだ。

説(1)
『通りゃんせ』のモデルとなった場所は、埼玉県の川越市だといわれる。 
 川越市は「小江戸」とも形容されるように、江戸時代には都とずいぶんなじみの深い土地がら。江戸の北の守りとして、また、江戸の台所として代々幕府がおさめてきた天領である。 
 さて、そんな川越には、かつて城があり、城の本丸の近くに三芳野神社が建立されていた。この神社、幕府とかかわりが深く、庶民の身ではふだんは参詣もかなわず、庶民の参詣が許されるのは、年に一回の大祭のときだけだったという。 
 とはいえ、そんなときでも、場所がら、警備の者が多い。町人たちがめずらしさのあまり、キョロキョロしようものなら、「何をしている」「はやく歩け」と叱声が飛んできた。そんな庶民の落ち着かない気分が「行きはよいよい帰りはこわい」と表現されたという。 

説(2)
 その発祥の地は埼玉県川越市、川越天神・三芳野神社といわれている。川越市は「小江戸」といわれ栄えた城下町で、いまも蔵造りの家並みや城跡、多くの社寺が残る町だ。 
 三芳野神社というのは、室町中期に形成された川越城内にあって、菅原道真(天神様)を祭ったもの。ふつうの人は年に1回お祭のときにしかはいれなかった。その昔は7つになると天神様の氏子になれる。昔は医療も発達していなかったから、7つになるということはその子が育つ目安となり、いまでいう成人式のようなお祝いをしたのだ。 
 そのために天神様を訪れたのだが、到着するまでには南大手門から入って、さらに門を3つくぐっていかなければならなかった。帰るときには、それは厳しいチェックを受ける。そこで、♪行きはよいよい、帰りはこわい。こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ、となるのだ。 

この他にも、「川崎の歌ではない」とする説もある。それによると、
「御用のない者通しゃせぬ」はさらに古い文献にさかのぼると
「手形のない者通しゃせぬ」
になっているらしいのだ。
ここから、「関所」の歌であるという説が出てきたのだ。

以上のように、起源そのものははっきりしないものの、世に言われるような解釈は成り立たないことがわかるだろう。







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かごめかごめ(1)

2007.10.09 (Tue) Category : 都市伝説・考察・真相

真相の前に、あといくつか都市伝説に近い解釈を発見したので、掲載しておく。

説(1)
かごめかごめは神降ろしの際に行われる儀礼だ、とする説。真中にいる人物は依り代の役割を果たし 民間で行われる一種の口寄せだといわれる。

説(2)
篭の中の鳥(鶴)→女郎 
いついつでやる→いつ落籍できるだろうか? 
亀→女郎と恋仲になった裕福ではない男 
~がすべった→置屋から逃げようとして転んだ 
後ろの~→花街の警備をしている人たちが追いつく、つまり借金を踏み倒して好きな男と逃げようとするが失敗したなどの説。

説(3) 
 あとは村で飢饉が流行り子供を間引きするために行った行事だとかで、村長を真ん中にしてその歌を踊り歌い終わった時に村長の後ろにいた人が間引きされるとする説。

説(4)
かごめは「篭目」で、120度ずつ方向をずらした3つ向きの竹を編みこんだ際にできる、紋(ユダヤの星と同じで、上向きと下向きの正三角形を重ね合わせたような紋)のことである、と言われている。  
 この事から、呪術的な意味があるとか、実はユダヤの財宝の隠し場所だとか、キリストの本当の墓の場所を示しているとか(岩手県には、キリストの墓だとされる場所がある)、様々な説がある。

説(5)
徳川埋蔵金の隠し場所の暗号文だとする説。
「東照宮」にある色々な隠し細工や陽明門の魔除けのための逆さ柱や眠り猫…極めつけは日光の鶴と亀。しかもこの鶴は鍵をくわえている。これらを直線でつなぎ合わせると…という話だ。

結論から言えば、「言葉遊び」である。

「かごめ」の解釈の仕方で様々な憶測が出るが、これは「かがむ」「しゃがむ」の方言、「かごむ」の命令形、「かごめ」と見るのが一番いい、といわれている。
ちなみに、大正時代までは下記の詩だったらしい。

かごめかごめ
籠の中のどじょうは
いついつでやる
夜明けの晩に
鶴と亀がつーぺった(突き破った)
後ろの正面だあれ

で、この「かごめ」が出てくる最古の文献には…

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつでやる
夜明けの晩に
つるつるつっぱいた
なべのなべの底抜け

…となっている。
とりあえず、コレだけ歌詞が違うのだから、今の歌詞をもとにいくらひねくり回してみても「正しい解釈」など出てくるはずはない。







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