都市伝説・・・奇憚・・・blog
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2007.10.23 (Tue) | Category : 都市伝説・考察・真相
ガセである。
まず、「卍」であるが、これは寺院の記号でも知られる「左まんじ」である。
都市伝説にあるのはナチスドイツが使っていたハーケンクロイツ(逆卍、鉤十字)と混同されているようだ(鉤十字は右卍が45度傾いたもの)。
左卍(まんじ)または右卍とは、サンスクリット語でスヴァスティカまたはシュリーヴァトゥサと呼ばれ仏教で用いられる、吉祥の印である。左卍と右卍があり日本では左卍が多く用いられている。
前記の通り右卍はハーケンクロイツに似ているため、欧米ではナチのシンボルとして誤解されることが多い。しかし、日本を含む世界の各地では、卍はナチとは無関係であり、現在も多用されている。
日本では、寺院の象徴として地図記号にも使用されている。認識の相違から起きた事件として、ポケットモンスターのカードゲーム用カードに卍が印刷されていたため、欧米ではデザインが変更されたことがある。また少林寺拳法は1947年の創設以来、シンボルマークや胸章に卍を使用してきたが、ヨーロッパでの普及にあたってハーケンクロイツとの混同を避けるため、2005年度から新しいシンボルマークに変更した。
まず、「卍」であるが、これは寺院の記号でも知られる「左まんじ」である。
都市伝説にあるのはナチスドイツが使っていたハーケンクロイツ(逆卍、鉤十字)と混同されているようだ(鉤十字は右卍が45度傾いたもの)。
左卍(まんじ)または右卍とは、サンスクリット語でスヴァスティカまたはシュリーヴァトゥサと呼ばれ仏教で用いられる、吉祥の印である。左卍と右卍があり日本では左卍が多く用いられている。
前記の通り右卍はハーケンクロイツに似ているため、欧米ではナチのシンボルとして誤解されることが多い。しかし、日本を含む世界の各地では、卍はナチとは無関係であり、現在も多用されている。
日本では、寺院の象徴として地図記号にも使用されている。認識の相違から起きた事件として、ポケットモンスターのカードゲーム用カードに卍が印刷されていたため、欧米ではデザインが変更されたことがある。また少林寺拳法は1947年の創設以来、シンボルマークや胸章に卍を使用してきたが、ヨーロッパでの普及にあたってハーケンクロイツとの混同を避けるため、2005年度から新しいシンボルマークに変更した。
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在日韓国人
2007.10.23 (Tue) | Category : 都市伝説・考察・真相
あくまでも噂であり、根本的な勘違いや意図的な間違いも多々含まれる。
例)
美空ひばり→義理の父親が韓国国籍
西城秀樹→韓国ではなく北朝鮮国籍
孫正義→韓国ではなく中国国籍
また、被差別部落出身と混同されている場合もある(誰とは言わないが)。
もちろん、自分からそのことを発表している人もいる。
例)前田日明、金本浩二、長州力、力道山(北朝鮮)、MISIA、ソニン、岩城晃一など。
この話には、いわゆる「在日認定」という作用が加わっている。
○在日認定【ざいにちにんてい】[名・他スル](ハングル)
(1)なんらかの業績をあげた日本人に対して韓国マスコミが「日本に偉大なものなど存在しない」→「〇〇は偉大な人物である」→「よって〇〇は日本人ではなく、在日同胞である」という三段論法に基き
その日本人を一方的に在日韓国人とみなして報道、賞賛する行為。
1998年に韓国のスポーツ紙が、サッカーの中田英寿選手を在日三世であると報道し後に中田選手からの抗議を受け、同記事が噂に基く誤報であったことを認めた事件が有名である。
例)
美空ひばり→義理の父親が韓国国籍
西城秀樹→韓国ではなく北朝鮮国籍
孫正義→韓国ではなく中国国籍
また、被差別部落出身と混同されている場合もある(誰とは言わないが)。
もちろん、自分からそのことを発表している人もいる。
例)前田日明、金本浩二、長州力、力道山(北朝鮮)、MISIA、ソニン、岩城晃一など。
この話には、いわゆる「在日認定」という作用が加わっている。
○在日認定【ざいにちにんてい】[名・他スル](ハングル)
(1)なんらかの業績をあげた日本人に対して韓国マスコミが「日本に偉大なものなど存在しない」→「〇〇は偉大な人物である」→「よって〇〇は日本人ではなく、在日同胞である」という三段論法に基き
その日本人を一方的に在日韓国人とみなして報道、賞賛する行為。
1998年に韓国のスポーツ紙が、サッカーの中田英寿選手を在日三世であると報道し後に中田選手からの抗議を受け、同記事が噂に基く誤報であったことを認めた事件が有名である。
宗教
2007.10.23 (Tue) | Category : 都市伝説・考察・真相
現在1800万人が浄土真宗の門徒といわれ、日本人口の8人に1人は浄土真宗門徒ということになる。
一方、被差別部落出身者は300万人。このうちどれだけが浄土真宗なのかはわからないが浄土真宗の中では少数派のはずである。
しかし、これを調べていくことでもっと深い闇を発見してしまった気がする。
以下を読んでみて欲しい。
差別戒名の烙印
死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?
それは歴然とあった。否、現にある。その典型を、各宗派、各地の「差別戒名・墓石・墓誌」に見ることができる。
差別戒名とは、一口に言えば死者の生前の社会的身分、家柄、職業などを意図的に戒名に組み入れたものである。それをしたのが、人間外の人間として、釈尊の教えを説き、人間の平等を説く、僧侶である。差別がいかに深刻なものであるかを物語る例証であるとともに、宗教(仏教)の欺瞞性を表現するものでもある。
さて、差別戒名とは、普通一般的には、戒名として使われない文字が被差別民衆に限ってつけられ事実をいう。そのつけ方は実に巧妙で、畜の隠し字(玄・田)、栴陀羅(人間外の人間)、異体文字、画抜き、創字、あて字などが、目じるしとしてつけられ、特に被差別部落民については、「革」「僕」「屠」などと、生前の職業を表したと思われる差別戒名が数多く刻まれていた。
特に長野県では差別戒名の種類が多く、「畜」「賤」「ト」「草」「朴」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「栴陀羅」「婢」「隷」などの文字が使われ、なかには「穢」という字の入った墓石もあり、「庭男」と書かれた戒名もあった。
「革」については「皮多」という身分とかかわりがあり、革をあつかった仕事に従事していた人のものと思われている。
このような 差別戒(法)名を定式化し、その後の手引書の元になったのが、中世に書かれた『貞観政要格式目』で、ここには中世の被差別身分の人びとへの差別戒(法)名のつけ方について詳細に言及されている。
言うまでもなく、近世の幕藩体制によって全国に敷かれた寺檀制度の下でも、「畜」「奴」「僕」など、死後においても被差男別部落の人びとを侮辱し、冒涜する文字を戒(法)名につける行為が平然と、いずれの宗派においても行われていた。各宗派では、置字、院号、道号、戒名、位号の順(浄土真宗では、置字、法名のみ)で戒名をつけるのが通常であったが、例えば、部落外は「四字戒名」であるのに被差別部落には「二字戒名」をつけていた。また、字画の少ない戒名をつけたり、一見して部落の人だとわかる文字を刻んだりもしていた。
以下は近世における主な差別戒名である。
「雪道禅畜門」(延宝時代・1673年~1681年)
「道秋禅畜男」(元緑時代・1688年~1704年)
「轉透屠女」「宗達革門」「智梅草尼」(1718(正徳8)年)
「卜生非男」(1743(寛保3)年)
「秋林屠士」(1779(安永8)年)
「基圓屠女」(1789(寛政元)年)
「奥身ト女」(1799年(寛政11)年)
「朴道僕男」(1806年(文化2)年)
「早耽○○賎女」(1809(文化1年)
「勝香鞁男」(1815年(文化11)年)
「栴陀羅男」(1828年(文政11)年)
「幻露非女」(1841(天保2)年)
(差別戒名が刻まれた墓石-「リバティおおさか」のパンフより)
近代になり「解放令」がだされた1871(明治4)年以後にも、例えば1872(明治5)年に「浄岳栴陀羅男」、1873(明治6)年には「浮沈僕男」、1885(明治18)年の「鉄関革門」などと、差別戒名が刻まれている。特筆すべきは、「ト生非男」「ト妙革女」などと、差別文字をつらねて差別を繰り返し、強調しているものがあることである。
戦後の差別戒名
驚くべきことに差別戒名は、戦後になってもまだつけられていた。 以下はその一例である。
1945(昭和20)年--「釋尼栴陀」(真宗大谷派)・鹿児島県
1947(昭和22)年--「早世梅芳革門」(宗派不明)・長野県
1979(昭和54)年--「吟丁禅定門内下男」「妙隻禅定門内下女」(曹洞宗)・埼玉県
1980(昭和55)年--墓誌に革女などの差別戒名(曹洞宗)・長野県
また、被差別部落の人びとだけを別にした別冊の『過去帳』も多くあった。例えば長野県のある寺院では1960年代まで続けられており、埼玉県では1980年に新たに建立された墓誌に依然として「革門・革女」の14霊に差別戒名が刻まれていたのである。
前近代から刻まれ続けてきた差別戒(法)名は、単に過去の差別の一事例を示す証としてではなく、浄穢「穢れ観」とも関わりながら、宗教界の差別体質を根源から問いかけているのである。深刻なのは、こうした墓石や寺院の過去帳が結婚や就職などの身元調査に悪用されていた事実である。
つまり生前の差別は、死後戒名差別と名を変え、現在も生き続けているのである。私たち一人ひとりが真剣に考えなければならない問題である。(参考文献--大阪人権博物館解説シート)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sabetukaimiyou.htm
こうしたことを見るにつけ、都市伝説とは逆の、差別を率先して行っていた立場が宗教だったのである。
一方、被差別部落出身者は300万人。このうちどれだけが浄土真宗なのかはわからないが浄土真宗の中では少数派のはずである。
しかし、これを調べていくことでもっと深い闇を発見してしまった気がする。
以下を読んでみて欲しい。
差別戒名の烙印
死者の戒名にまで差別があるのか、仏教にも差別があるのか?
それは歴然とあった。否、現にある。その典型を、各宗派、各地の「差別戒名・墓石・墓誌」に見ることができる。
差別戒名とは、一口に言えば死者の生前の社会的身分、家柄、職業などを意図的に戒名に組み入れたものである。それをしたのが、人間外の人間として、釈尊の教えを説き、人間の平等を説く、僧侶である。差別がいかに深刻なものであるかを物語る例証であるとともに、宗教(仏教)の欺瞞性を表現するものでもある。
さて、差別戒名とは、普通一般的には、戒名として使われない文字が被差別民衆に限ってつけられ事実をいう。そのつけ方は実に巧妙で、畜の隠し字(玄・田)、栴陀羅(人間外の人間)、異体文字、画抜き、創字、あて字などが、目じるしとしてつけられ、特に被差別部落民については、「革」「僕」「屠」などと、生前の職業を表したと思われる差別戒名が数多く刻まれていた。
特に長野県では差別戒名の種類が多く、「畜」「賤」「ト」「草」「朴」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「栴陀羅」「婢」「隷」などの文字が使われ、なかには「穢」という字の入った墓石もあり、「庭男」と書かれた戒名もあった。
「革」については「皮多」という身分とかかわりがあり、革をあつかった仕事に従事していた人のものと思われている。
このような 差別戒(法)名を定式化し、その後の手引書の元になったのが、中世に書かれた『貞観政要格式目』で、ここには中世の被差別身分の人びとへの差別戒(法)名のつけ方について詳細に言及されている。
言うまでもなく、近世の幕藩体制によって全国に敷かれた寺檀制度の下でも、「畜」「奴」「僕」など、死後においても被差男別部落の人びとを侮辱し、冒涜する文字を戒(法)名につける行為が平然と、いずれの宗派においても行われていた。各宗派では、置字、院号、道号、戒名、位号の順(浄土真宗では、置字、法名のみ)で戒名をつけるのが通常であったが、例えば、部落外は「四字戒名」であるのに被差別部落には「二字戒名」をつけていた。また、字画の少ない戒名をつけたり、一見して部落の人だとわかる文字を刻んだりもしていた。
以下は近世における主な差別戒名である。
「雪道禅畜門」(延宝時代・1673年~1681年)
「道秋禅畜男」(元緑時代・1688年~1704年)
「轉透屠女」「宗達革門」「智梅草尼」(1718(正徳8)年)
「卜生非男」(1743(寛保3)年)
「秋林屠士」(1779(安永8)年)
「基圓屠女」(1789(寛政元)年)
「奥身ト女」(1799年(寛政11)年)
「朴道僕男」(1806年(文化2)年)
「早耽○○賎女」(1809(文化1年)
「勝香鞁男」(1815年(文化11)年)
「栴陀羅男」(1828年(文政11)年)
「幻露非女」(1841(天保2)年)
(差別戒名が刻まれた墓石-「リバティおおさか」のパンフより)
近代になり「解放令」がだされた1871(明治4)年以後にも、例えば1872(明治5)年に「浄岳栴陀羅男」、1873(明治6)年には「浮沈僕男」、1885(明治18)年の「鉄関革門」などと、差別戒名が刻まれている。特筆すべきは、「ト生非男」「ト妙革女」などと、差別文字をつらねて差別を繰り返し、強調しているものがあることである。
戦後の差別戒名
驚くべきことに差別戒名は、戦後になってもまだつけられていた。 以下はその一例である。
1945(昭和20)年--「釋尼栴陀」(真宗大谷派)・鹿児島県
1947(昭和22)年--「早世梅芳革門」(宗派不明)・長野県
1979(昭和54)年--「吟丁禅定門内下男」「妙隻禅定門内下女」(曹洞宗)・埼玉県
1980(昭和55)年--墓誌に革女などの差別戒名(曹洞宗)・長野県
また、被差別部落の人びとだけを別にした別冊の『過去帳』も多くあった。例えば長野県のある寺院では1960年代まで続けられており、埼玉県では1980年に新たに建立された墓誌に依然として「革門・革女」の14霊に差別戒名が刻まれていたのである。
前近代から刻まれ続けてきた差別戒(法)名は、単に過去の差別の一事例を示す証としてではなく、浄穢「穢れ観」とも関わりながら、宗教界の差別体質を根源から問いかけているのである。深刻なのは、こうした墓石や寺院の過去帳が結婚や就職などの身元調査に悪用されていた事実である。
つまり生前の差別は、死後戒名差別と名を変え、現在も生き続けているのである。私たち一人ひとりが真剣に考えなければならない問題である。(参考文献--大阪人権博物館解説シート)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sabetukaimiyou.htm
こうしたことを見るにつけ、都市伝説とは逆の、差別を率先して行っていた立場が宗教だったのである。
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