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茨城県・累ヶ淵

2013.10.08 (Tue) Category : ホラー・心霊スポット・廃墟

累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名。
日本三大怪談と言われる「牡丹灯篭」「番町更屋敷」「四谷怪談」と並ぶ「真景累ヶ淵」の舞台となった地である。

江戸時代にこの地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊とその除霊をめぐる物語が広く流布し、そこから「累物(かさねもの」と称される一群の歌舞伎作品も生まれた。

累の物語が最初に知られるのは、元禄3年(1690年)に出版された仮名草子本『死霊解脱物語聞書』である。
『聞書』によれば、慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)までの60年にわたって繰り広げられた実話に基づくとされている。
下総国岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門(よえもん)と、その後妻・お杉の夫婦があった。
お杉の連れ子である娘・助(すけ)は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。そして助が邪魔になった与右衛門は、助を川に投げ捨てて殺してしまう。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけるが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれた。

両親が相次いで亡くなり独りになった累は、病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎(やごろう)を看病し、二代目与右衛門として婿に迎える。しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。正保4年8月11日(1647年)、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とし残忍な方法で殺害した。

その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、尽く死んでしまう。6人目の後妻・きよとの間にようやく菊(きく)という名の娘が生まれた。寛文12年1月(1672年)、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめた。近隣の飯沼にある弘経寺(ぐぎょうじ)遊獄庵に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の解脱に成功するが、再び菊に何者かがとり憑いた。祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊であった。古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて解脱させた。

法蔵寺には累を弔った墓があり、常総市の指定文化財になっている。
また、法蔵寺には祐天上人が解脱に用いたという数珠・累曼陀羅・木像なども保存されている。
以上、wikipediaより抜粋

ということで、厳密には心霊スポットではない。
累、菊、助の墓は実在するが、この事件そのものが実話とされているがその根拠はなく、創作されたものとされるので墓自体も実在した人物の墓ではないという。

これといった心霊目撃談もなく、一般的に言う「心霊スポット」とは異なるが、観光スポットでもあるので、常総市付近を訪れた際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。



 








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Title : 無題


いくら看病して貰ったとは言えそんな醜い菊と結婚したって事は菊の心は綺麗だったんだろうなぁ…
気の毒過ぎて個人的には怨み晴らさせてから供養してあげて欲しかったりする(^ω^;)

ねこたま 2013.11.15 (Fri) 00:29 編集

Re:無題

さすがにそれはマズイんじゃw
恨み晴らしたら勝手に成仏しちゃいそうだし

2013.11.15 18:24

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