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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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廃兵

2007.10.21 (Sun) Category : 都市伝説・考察・真相

残念ながら、この話は本当である。
ドキュメンタリー映画(『赤い天使』というタイトル)にもなっている。
現在は精神病棟になっていることも多い。
 例えば東京近郊の国立療養所などには、脳や精神を損ねてしまい、見るに耐えないほど重度の方たちが収容されていたという。
 戦争に敗れ、家族友人からも見放され、何十年も見舞い客もなく、孤独のうちにひっそりと亡くなってしまわれた方たちが、今の歴史の中には埋もれていることを我々は忘れてはいけない。

以下に、関連した新聞記事のコピーを掲載する。

「戦傷者病棟 忘れ去られて」
 「戦友とは誰にも会いたくない」と元陸軍中尉は言い、寝たきりの元一等兵は冷房のない病棟で暑さにあえいでいた。終戦記念日を前にした国立下総療養所(千葉市辺田町、鈴木淳所長)。頭部に被弾した者や精神に異常をきたした兵士を収容する軍事病院だった同療養所には、戦後三十九年を経たいまも三十八人の傷痍(い)軍人がいる。引き取り手はなく、社会や家族からも忘れられ、ここをついのすみかに迫りくる死期だけを待つのだ。
 元陸軍中尉のAさんは(七一)はラバウルで終戦を迎え、マラリヤにかかって入院中の二十年十月、精神に異常をきたした。復員後の二十二年三月、同療養所に入院、以来一度も外出したことはない。黄色に変色した古いカルテには「意志発動減退、感情鈍麻するものの如し、幻覚症状を呈す」と記されている。
 「福ちゃん、こっちだよ」と若い看護婦に手をひかれてAさんは面会室にやってきた。精神病者にありがちなあいまいな笑いを浮かべている。質問には極めて短い言葉しか返ってこない。
 問「終戦の日、何を考えたか?」
 答「よかった」
 問「天皇陛下に対してはどんな思いを?」
 答「どうとも思わない」……。
 ものをまとめて考えることはできず、自分のカラに閉じこもりすべてに無関心だ。
 そんなAさんが一度だけ表情を変えた。戦友の話になった時だ。笑いが消え、困った表情を見せ、イヤイヤするように首を振り「戦友には会いたくないな」とつぶやいた。無惨な姿になった自分をかつての部下や同僚に知られたくないという陸軍中尉のプライドがそうさせたのか。だがすぐに元に表情に戻り、心に動きをうかがい知ることはできなかった。
 Aさんには妻と長男がいる。応召された時、長男はおなかの中で互いに顔を知らなかった。この五月、二人そろって面会に来たが、Aさんは長男を識別できなかった。長男を抱え女手一つで家庭を切り盛りし、公務員として働いてきた妻が、いまでも年に二~三回、新潟から面会に来るのがAさんにとって唯一の救いか。「奥さんが来ると福ちゃん、とってもうれしそうな顔をするんだよね」と看護婦が話しかける。
 たまたま、面会室をのぞきに来た元二等兵(六四)へは、この四十年間、実兄が一度訪ねてきたきりという。Aさんの妻は極めてまれなケースだ。
 悪性しゅようが体を侵しているようで、体中に黄だんができ点滴を受ける元陸軍一等兵、Bさん(六六)は九年間寝たきり。昭和十四年、中国大陸での戦闘で前頭部に弾丸を受け、後方転送を繰り返し、十六年九月、同療養所に来た。
 運動中枢は無事だったので、自由に動くことができ、戦後は一時、同所の雑役職員まで務めた。だが、二、三年ごとに発作が起き、二十年前から再びベッド生活に戻った。若い時分には真夜中に突然「整列!」「撃て!」などと号令をかけ、周りを驚かせたが、もうその元気も消えうせた。
 負傷時には青年だった三十八人の傷痍軍人は高齢化し平均年齢六十五歳。戦後すぐは百人以上の大所帯だったが、一人、また一人と死んでいった。
 鈴木所長は「国のために戦い傷ついた人たちの老後をせめて快適に過ごさせてやりたい。冷房も入れたいし、家族が来たときに一緒に泊まれる畳部屋もほしい。なのに厚生省はなかなか言うことをきいてくれない」といっている。
(『毎日新聞』1984年[昭和59年]8月14日付け夕刊第7面より。コピーも同じ。) 
……。その一年後の新聞にはこんな記事があった。 
「戦傷後遺症いまだに」
 太平洋戦争中の戦闘で頭部に被弾した人たちが、戦後四十年たったいまも深刻な後遺症に悩まされていることが、国立下総療養所(千葉市)の木暮龍雄医師らの研究、調査で三日わかった。後遺症は「体がしびれる」「すらすらしゃべれない」等の身体症状から「忘れっぽい」などの精神症状まで広範囲にわたっている。頭部外傷についての予後調査は外国でも行われているが、四十年という長い年月を経た後での調査は初めてという。
…(中略)…木暮医師は「頭部戦傷者は一般の傷痍軍人と違って外見は普通の人と変わらないので、その苦しさが他人に容易に理解されない面があり、家族関係がぎくしゃくしている人も多い」と話している。
(『毎日新聞』1985年[昭和60年]8月4日付け第23面より。) 

 さらに一年後の同紙に、下総療養所に関するフォロー記事が掲載された。 
「個室でき、光差したが…今なお闘病、36人の元兵士」
 「畳の部屋が出来て、もう外へ行きたいなんて思いませんよ」。戦争中、頭部に受けた傷で寝たきりの老人は不自由な口で話し、笑った。国立下総療養所(千葉市辺田町、鈴木淳所長)の戦傷者病棟では頭部に被弾し、あるいは戦場で精神を病んだ三十六人の元兵士達が今なお、闘病しながら、十五日の終戦の日を迎える。今夏、病棟の一部が改築され、初めて何人かに個室が与えられ、家族や社会に見捨てられがちな男たちの「終の栖」(ついのすみか)に、かすかな光明が差し始めた。
 同療養所は昭和十六年、陸軍省が頭部戦傷者と精神障害者の専門療養所として開設。戦後は一般の精神病院になったものの、戦傷兵は社会復帰が難しいため、全国でも珍しい戦傷者病棟が残った。入院者は六、七十歳代で飛行機の爆音を耳にすると、射撃のまねをする元陸軍中尉、暗がりに極端におびえる元上等兵がいる。面会人も途絶えている。
 病棟は古く一室に六人が生活をする。同療養所は厚生省に改築の陳情を繰り返していたが、認められなかった。
 しかし、こうした様子が一昨年八月に毎日新聞に報道され反響を呼んだこともあって、同省が重い腰を上げ、病棟の一部改築を予算化。約二千万円でこのほど畳六畳時期の個室が五室完成した。
 その一つに入室したAさん(六八)は昭和十九年に中国大陸で頭部に受傷。当初は寝たきりで全然動くことができなかった。四十年間のリハビリで補助具で散歩もできるようになった。「こんなにゆったり生活ができて夢みたいだ」とAさん。
 ただこの個室も全体から見ればまだわずか。鈴木所長は「改築の継続をお願いする。国のために戦って傷ついたこの人たちも人生の後半。快適な老後を」と訴えている。
(『毎日新聞』1986年[昭和61年]8月15日付け第23面より。) 





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