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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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2024.04.26 (Fri) Category : 

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おじいちゃんとおばあちゃん

2009.04.21 (Tue) Category : 誰も信じない人へ

私のおじいちゃんとおばあちゃんの話。

おばあちゃんちにこの間泊まったら、してくれた話。
方言が激しいから、言った言葉は標準語で書きます。

お祖母ちゃんは、生まれつき目が悪かったんだけど、戦時中、9人居る兄弟の為に働いたり、ご飯とかを分けてあげたりして、十分な食事を取らなかったから、目がほとんど見えなくなった。
その頃から、ばあちゃんは、人が見えないものが見えるようになった。

多分、ばあちゃんの目が見えなくなったのは、それだけじゃない。
結婚する筈の男性が、戦艦に乗って「名誉の戦死」をして帰ってきた。

「たくさんの仲間達が御国の為に死んでるのに、こんな事、言ってはいけないと思うけど…俺は、あなたの為に生きて帰ってきたい。あなたと、家を作って、子供いっぱい作って、幸せに暮らしたい。俺が漁に行って、あなたはそこの浜で、子供たちと一緒に手を振って『ご飯だよ』 って待ってて欲しいんだ」

「生きて帰って来てね。待ってる。ヒュウズたくさん作って待ってるよ」

「うん、帰ってくる。腹いっぱい、あなたの作ったヒュウズ食べるんだ」

と、別れの夜に、ばあちゃんを抱きしめて言ったそうだ。
その男性と結婚式をする筈だった1ヶ月前の出来事だった。
ばあちゃんは、その人の無事を祈った。
手紙が届いたら、何度も読み返して。

(ばあちゃんはほとんど学校に行けなかったから、その人は平仮名とカタカナで書いてくれたそうな)
自分で拙いけど、何度も
「オクニノタメニガンバッテクダサイ」
と、帰ってくる祈りを込めて返事を書いた。
本当は
「生きて帰ってきて」
と書きたかったって言ってた。

「あなたを、ずっとずっと愛しています。忘れません。どうか幸せになってください」
の言葉を最後に、その人からの手紙は途絶えた。

そして、数ヵ月後、終戦を迎えて。ばあちゃんが畑を耕していると、畑の向こうに、軍服姿の許婚の姿があった。
「謙蔵さんですか」
と問うと、その人は悲しそうに頷いたそうな。
「戻ってきたのすか?」
と、また頷く。
「じゃぁ、一緒になれんかね…」
首は横に振られた。

嫌な予感がしたのと、何やらその男の人の実家が騒がしいので(ご近所さんだった)行って見たら、その人の変わり果てた姿があった…んだって。

もう、骨だったみたいだけど、遺品の中に、ばあちゃんの写真と、手紙があったという。
ばあちゃんが見た、結構クリアな映像は、それが最後だって、言ってた。

ばあちゃんは、その人が食べたかったヒュウズを、食糧難の中、材料を掻き集めて、頑張って作って、供えた。ご家族は泣いてたって。

「謙蔵が好きな物…食べたかったろう。ありがとう、ありがとう」
と。

 数年後、落ち込んで力も出ないばあちゃんに、見合い話が舞い込んだ。
相手は、ばあちゃんの住む村から遠く離れた山奥の農家の長男だった。

それまでも、何度か見合い話があったけど、ばあちゃんは断っていたそうで。
曾じいちゃんと曾ばあちゃん(ばあちゃんの父母)の勧めもあって、その人と結婚した。
その人が、私のじいちゃんとなる人だ。

じいちゃんは、牛を育てたり、畑を耕したり、山に入って獲物を取ったりと、働き者だけど、お酒と煙草がやめられない人だった。
ある意味、ちょっと自暴自棄だった。
一人で大木を切り出してきたり、犬も連れずに熊狩りに行ったり。

大怪我をして帰ってくることも多かった。
心配して、ばあちゃんは
「もう、なんでそんな事するの」
といつも泣いていたそうだ。

ある夜、じいちゃんが、
「俺はな、特攻隊に入る筈だった」
と語りだした。 

「特攻隊に入るかも知れないって時、俺は死んだ仲間を思い出していた。赤ん坊の頃から友達だった近所のの○○や●●だって、特攻したりでこの世に居ない、俺がこのまま生きている訳にも行かないからな。でも、覚悟を決めた時に、終戦を迎えた。俺は死ねなかったんだ」
と、酒をかっ食らった。

でも、ばあちゃんには、その、じいちゃんの幼馴染とかが見えてた。
一人は航空隊、もう一人は海兵だった。
「はっちゃん、なんでそんな事するの」
「そんな事しないでくれよ、ちゃんと生きてくれよ」
と、幼馴染達は嘆いていたそうだ。

「幼馴染の人等が泣いてるよ」
と言うと、じいちゃんは少し黙って、
「そうか」
と言って項垂れた。

それからは、じいちゃんは自暴自棄な事を抑えた。酒と煙草はやめなかったけど。
子供は四人設けて、一人は死んだけど、結構幸せな家庭だった。

時は流れて、私が生まれた。
6人の孫の中で一番年下の私を、じいちゃんは猫可愛がりして、どこに行くにも連れてった。
小さかった私は、じいちゃんの後ろを付いて歩き、じいちゃんがちょっとでも見えなくなると、
「じいちゃ、じいちゃ」
と泣く赤子だったそうな。

山菜取りとかに行くときに、背負い篭に入れられて行った事も覚えている。
八歳の時に、じいちゃんは脳に血の塊が出来て倒れた。
じいちゃんのお見舞いには一回しか行ってない。手が痛くなるほど手を握られた。

闘病生活があまりにも壮絶で、
「●(私)の前では元気なじいやんで居たい」
と、まだ大丈夫だった頃、じいちゃんは言ったそうだ。
もう、何もわからなくなった頃、頻りに
「ばあやん、ばあやん」
と、じいちゃんは言うようになった。

昼も夜も、ずーっと
「ばあやん、ばあやん」
ばあちゃんは目が全く見えなくなっていたので、介護できずに家にいたのですが、ばあちゃんの妹やうちの母さん達が看病している時に、ずっと、
「ばあやん、ばあやん」

「私は、ばあやんじゃないよ。今度ばあやんって言ったら10円取るよ」
と、ばあちゃんの妹は言った。
「ふん」
と、頷くけど、じいちゃんは
「ばあやん、ばあやん」

死ぬときも、最後まで
「ばあやん、ばあやん」
と呼んでいたという。

そして、じいちゃんは、年の暮れに逝った。72歳だった。
死ぬときに、私に挨拶をしに来た。いつもの農作業着で、農協の帽子をかぶって、
「おー、●、ほんじゃな。良い子にするっこだぞ」
と、じいちゃんは消えた。

その頃、ばあちゃんの家では、玄関が開いた音がして、ばあちゃんが
「じいやんか」
と聞くと、
「ふん」
と、頷く声がしたそうで、
「逝くのか」
と聞くと、また
「ふん」
と。

ばあちゃんは泣いた。
「お盆になりゃ帰ってくるけどね」
と、笑うけど。

でも、ばあちゃんはそれから夢を見るようになった。
玄関のところに、じいちゃんが立っていて、
「どこに行くの」
とばあちゃんが尋ねると、
「ちょっとよ」
と言って、歩いていってしまう。

家を離れて曲がり角を曲がると、じいちゃんと、幼馴染達が談笑していて、死んだ娘もいる。
その中に、何故かばあちゃんの昔死んだ許婚も居て、ばあちゃんを見て、ニコッと笑って。
皆で何処かに行ってしまう。

「まだ呼んでくれないのね」
と、ばあちゃんは笑ってた。


 








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Title : 無題

とても切ないけれどとても暖かいお話ですね…。

NONAME 2009.04.21 (Tue) 23:03 編集

Re:無題

おばあちゃんが幸せそうで安心です。

2009.04.22 14:06

Title : 無題

泣ける。
いいはなしだ

NONAME 2009.04.22 (Wed) 02:33 編集

Re:無題

きっと幸せだったんでしょうね、みんな。

2009.04.22 14:07

Title : 無題

いい話だなぁ

いい話シーサ 2009.04.22 (Wed) 17:36 編集

Re:無題

幸せだったんでしょうねぇ。

2009.04.24 14:39

Title : 無題

涙が出ました…

NONAME 2009.04.24 (Fri) 04:00 編集

Re:無題

情景が目に浮かびます。

2009.04.24 14:40

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