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都市伝説・・・奇憚・・・blog

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「SOS」という歌

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

何かの音楽を聴くと~なことが起こる、という噂話は時折耳にする。
「呪いの音楽」
なんていわれるようなやつだ。
最近で有名なのは、「暗い日曜日」というシャンソンの曲だろう。かつてこれを聴くと自殺者が続出するという「呪いの歌」と呼ばれ大騒ぎになった。北欧の何ヵ国かと、イギリスBBCでは放送禁止となり、レコードが叩き割られたという話。

こんかいの真相究明は、コチラ。
昭和29年、日本をある悲劇的な事故が襲った。
青函連絡船「洞爺丸」沈没。
あの「タイタニック」の次に多くの被害者を出した世界史上2番目の海難事故のことである。
この事故と、アルゼンチンタンゴのことに妙な因縁があった。
当たり前の話だが、当時はモバイルもインターネットもないし、テレビも完全には普及してはいない時代。海運通信の主要手段はモールス信号、そして人々が頼るメディアはラジオだった。

事故のあった9月26日の深夜、「洞爺丸行方不明」の第一報が入り、ラジオで
放送が中断され、ニュース速報が流された。
その時、中断されるまでに流されていた曲。
それがアルゼンチンタンゴだったというのである。
曲名は、「SOS」
これは何かの偶然か、それとも。
関係者はぞっとしたらしい。
ところがこの話はこれだけではない。もう1点の不思議な点が。

この『SOS』という曲、世界各地で不吉な因縁話があったため、 後に『コンデナ』と改名された、というのである。


と、ここまでが都市伝説。だが。
調べてみると。、「コンデナ」という名前に改名されたのが1931年、つまり洞爺丸事故の23年も前のことだったことが分かった。同曲のリリースデータを見ると、日本で当時最も人気のあったタンゴバンドが旧名でレコードを出していた。事故時にこのバンドのバージョンが旧名のもとかけられたのだろうということも十分推測できる。

結局、単なる噂話…と思っていた。
そう。
気まぐれから「コンデナ」という言葉の意味を、辞書で調べてみるまでは。

言葉の意味。
それは、「別離」だった。
「SOS」から「別離」。
もう何もいう必要はないと思う。
奇妙な符号は、単なる名前の一致だけではなかったのだ。







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てるてるぼうず

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

まず、歌詞をみてみよう。

てるてるぼうず、てるぼうず
明日天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに
晴れたら銀の鈴あげよ

てるてるぼうず、てるぼうず
明日天気にしておくれ
私の願いを聞いたなら
甘いお酒をたんと飲ましょ

てるてるぼうず、てるぼうず
明日天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら
そなたの首をちょんと切るぞ

…これは正真正銘本当の歌詞。まあ、おかしな話が出てきても不思議のない歌詞といえば歌詞である。

この歌に関しては、会田道人「案外知らずに歌っていた童謡の謎」に詳しい。
これによると、もともと「てるてるぼうず」とはいうものの、男ではなく女だったという。しかも日本生まれではなかったらしい。
 中国の「掃晴娘(そうせいじょう)」だといわれているのだ。
掃晴娘は必ず掃除のための箒をもっていた。箒は霊や悪事だけでなく、福をも掃き払うほどの力をもつとされた、一種の呪具だった。
その箒を使って雲を掃き払い、晴天に導くのが掃晴娘の役目。だから中国では箒を持った人形をつるしていたというのだ。
その風習が日本に入ってきたのが平安時代とされている。

さて、作詞家の浅原鏡村はこの曲だけで童謡界に名を馳せたひと。父親はこの時代(明治)には珍しいカソリックの牧師であったようだ。
今でさえ外人には一歩腰が引けてしまう人が多いのに、その頃のキリスト教牧師の立場など想像に難くない。
いつも迫害され続けても「神への信心」を貫く父親と磔にされたキリスト像を見て育った鏡村が、子供の願いも聞けない(異教の)神だったら首を切っても足りないくらいに思っていただろう、というのが通説となっている。







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迷宮

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

この噂は地元朝鮮から発生したようだ。
朝鮮日報にも掲載されている。以下、引用してみる。

 『迷宮』を3回聞いたら命はない? 
 10代のネチズンの間で伽倻琴(カヤグム/韓国固有の楽器)の名人、黄秉冀(ファン・ビョンギ)氏の代表作のひとつ『迷宮』を3回聞くと、死んだり、倒れたりするという“猟奇的な噂”がインターネットを通じて広がっている。 
 黄秉冀氏のホームページ(http://bkh.bestmusic.co.kr)には、「『迷宮』を聞いて死んだ人がいると聞いたのですが本当ですか?」「なぜ、こんなに恐ろしい曲を作曲したのですか?」などの質問が続々と寄せられている。「世界ではすでに3000人が死んだ」「3度聞けば狂う」「作曲家が死んだ」「米国人男性と韓国人の恋人が自殺をした際に作曲されたのが『迷宮』だ」などの話も寄せられている。書き込みをしているのは主に中高校生で、中には9歳の小学生もいた。 
 『迷宮』は黄秉冀氏の1975年の作品。黄氏が伽倻琴と共にチェロの弦とスルテ(コムンゴ(琴に似た弦楽器)の演奏棒)で伽椰琴を演奏し、泣き笑いして絶叫する人声を挿入した独創的かつ破格的スタイルの曲だ。人声と口音は舞踊家のホン・シンジャ氏が務めた。 
 戸惑うような質問が多く寄せられると黄氏は最近ホームページに「質問と答え」のコーナーと、別に「『迷宮』についての詳細説明」のコーナーを新たに設けた。それぞれ2500回、 2000回の照会数を越えた。「すでに3回聞いたが死なないだろうか?」というある高校生の質問に黄氏は「間違いなく死ぬでしょう、80年後に」という滑稽な返事をした。 
 黄氏は「昨年5月に世宗(セジョン)文化会館でこの曲を演奏して以来、7月頃から少しずつ噂が広まって行き、最近になって戸惑うような質問や意見がホームページに殺到している」と話す。 
 また黄氏は「若い人たちがインターネット上で『迷宮』をダウンロードして聞いてその破格なスタイルに驚いたようだが、この曲を鑑賞するには、新たな音楽世界を探求しようとする芸術的な冒険心がまず必要だ」と説明した。 
 黄氏は「28年前に作った曲が、なぜ今ごろになって流行っているのか」と話しているが、逆に言えば『迷宮』の前衛性と実験性が再確認されたとも言える。 







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はないちもんめ

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

まずは、地方によって歌詞に差が見られるので、いくつか並べてみてみたい。

(1)
ふるさとまとめて はないちもんめ
ふるさとまとめて はないちもんめ
○○ちゃん取りたい はないちもんめ
□□ちゃん取りたい はないちもんめ

勝ってうれしい はないちもんめ
負けてくやしい はないちもんめ

(2)
 勝ってうれしいはないちもんめ
 負けてくやしいはないちもんめ

 隣のおばちゃんちょいと来ておくれ
 鬼が怖くて行かれない
 お布団かぶってちょいと来ておくれ
 お布団ぼろぼろ行かれない
 お釜かぶってちょいと来ておくれ
 お釜そこ抜け行かれない

 あのコが欲しい
 あのコじゃわからん
 そのコが欲しい
 そのコじゃわからん
 相談しよう
 そうしよう

(3)
 もんめもんめ
 はないちもんめ
 あの子がほしい
 あの子じゃわからん
 そうだんしましょ
 そうしましょ
 ちょいとまるめ
 きーまった
 きーまった
 ○○ちゃんがほしい
 ○○ちゃんがほしい
 なにできめる?
 △△できめる

さて。戦前には「相談しよう」「そうしよう」というフレーズはなかったらしい。

で、説としては
【1】子買いの唄説
貧しい親が、人買いに「たんす、ながもち、どの子が欲しい?」と聞いて「あのこが欲しい」と答える。

【2】色町で芸者を買う際の唄説
「花一匁」の匁(もんめ=3.75g)は重さの単位。
「買ってうれしい花一匁、まけて(値切られて)くやしい花一匁」
この場合の花一匁は芸者のことを指すとのこと。

【3】やはり娘売り(女郎屋へ)唄説
貧しい農村から口減らしのために集団で女郎に売られてゆく娘さん達を「花1匁」と例えた。とあります。
「お布団かぶってちょいと来ておくれ」「鬼が恐くていかれない」は、脱走しようにも監視がすごくてできないということ。

…となる。
散々調べた結果としては、【3】が一番近い解釈のようです。
都市伝説、あながち間違いではなさそうです。でもそうすると、都市伝説というカテゴリーからは外れちゃうんですけどね。







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ドナドナ

2007.10.10 (Wed) Category : 都市伝説・考察・真相

さて、日本語訳では表現されていない歌詞があるという。

それを見てみよう。

「ドナドナ」
安井かずみ訳詞・ショロム セクンダ作曲

ある晴れた 昼さがり
市場(いちば)へ つづく道
荷馬車(にばしゃ)が ゴトゴト
子牛を 乗せてゆく
何も知らない 子牛さえ
売られてゆくのが
わかるのだろうか
ドナ ドナ ドナ ドナ
悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ
はかない命(いのち)

青い空 そよぐ風
明るく とびかう
つばめよ それをみて
おまえは 何おもう
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場(まきば)に
帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ
はかない命

また、ドイツ語のものをみると、次のような歌詞があることもわかります。

哀れな仔牛をひとは縛ることができる
そして連れてゆき屠殺(とさつ)することが
翼をもつものなら空高く飛んでゆく
そして誰の奴隷にもなりはしない

…重い。重すぎる。

ここで『離散するユダヤ人』(小岸 昭著/岩波新書)からですが、最終章(第5章)の後半(p203~)ほどのひとくだりに、作者が現地の人々に「ドナドナ」の歌の「ドナ」の意味を聞いてまわっている箇所があります。実は作者は、このイスラエルの旅に出る前から、「ドナ」は「アドナイ(ドイツ語で『わが主』を意味する)」の短縮形であるという考えをもっており、この旅はその確認の意味もこめられていたとのことでした。その作者が拠り所としていた情報源は、あるドイツのフォークグループが出しているCDの解説書で、それによると「ドナドナ」はワルシャワ・ゲットーの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌であるとのことです。今回の旅はそんな彼の考えを裏付けるはずだったのですが、実際にイスラエルの人々に意見を伺ってみると、「あれは水だ。」とか「あれは、ロシアから伝わってきた歌だからドナとは川、もっと厳密に言えばドン川」などと言った答えが返ってきて、作者はかなりショックを受けたようです。エルサレム・ヘブライ大学でイディッシュ文学を専攻している学生からは、「アドナイ」の短縮形が「ドナ」になることは絶対にない、と明確に否定までされてしまったのです。

となると、『主よ、というリフレインである』説はその根拠を失ってしまいます。しかも、現存する自筆譜では『Dana』であるらしいのです。
『Dana』はポーランド語で「ラララ…」と意味、トルコ語で「牛」、ユダヤ語で「女性名」といった意味があるようです。

結局、調べても最終的な結論には至りませんでした。
ただ、アウシュビッツの頃のユダヤ人と深い関わりがある、とうことは間違いなさそうです。
機会があったら、もう少し調べてみたいと思います。







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